ゲームは脳に良い?ワシらがファミコンで鍛えられた理由じゃ!

今のゲームにはない「味」が脳を刺激するんじゃ
いやはや、ワシらが昔から熱中していたビデオゲームが「認知機能の向上に役立つ」かもしれんとな?ワシントン・ポストの記事でそんな話が出ておるのう。
もちろん、最新の美麗なグラフィックのゲームだって集中力を使うじゃろう。しかし、ワシが思うに、本当に脳を鍛えていたのは、あのドット絵の時代じゃったと確信するんじゃ。
ドット絵時代の「不便益」がワシらを賢くした
今のゲームは親切じゃ。チュートリアルが丁寧で、次の目標もマップにしっかり表示される。じゃが、ワシらの時代はどうじゃった?
情報量が少ないがゆえに、プレイヤーの脳がフル稼働するんじゃな。たった16色、いや、ファミコンの時代なら52色の中から選ばれた限られた色数で表現された世界を、ワシらの脳内で勝手に補完しておったんじゃ。あの抽象的なグラフィックを理解する力こそ、まさに認知機能じゃろう。
- マリオは落ちて覚えるしかなかった。
- RPGの謎解きは、街の人の抽象的なヒントから想像力を働かせて解くしかなかった。
- 敵の攻撃パターンは、何十回もやられて瞬時のパターン認識能力で叩き込むしかなかった。
おじさんの独り言:セーブ機能がないからこそ集中できたんじゃ
最近のゲームはオートセーブ機能が充実していて便利じゃが、昔のハードの不便さもまた一興じゃった。パスワードをメモしたり、電池が切れるかとヒヤヒヤしながら電源を入れっぱなしにしたり……懐かしいのう!
特にワシの思い出深いのは、PCエンジンじゃな。Huカードを差し込む時の「カチッ」という感触や、当時の大容量CD-ROMがもたらした衝撃。あの小さなハードの中に、無限の夢が詰まっておった。
当時は、ゲームオーバーになったら最初からやり直し、なんてザラじゃった。だからこそ、ゲームに対する集中力と真剣味が違ったんじゃ。一度のプレイに全身全霊を傾ける。これこそ、現代のマルチタスク社会に必要な集中力ブーストに他ならないじゃろ?あの頃は、ゲームの説明書を熟読するのも一種の予習じゃったし、あれも立派な読解力訓練じゃった。
結論:名作は色褪せない、長く愛される条件とは
結局のところ、ゲームが認知機能に良いとされるのは、最新技術が詰まっているからではないんじゃ。ゲームの本質、つまり「限られたルールの中で最善の結果を導き出す」というシンプルな構造が、脳を刺激するんじゃな。
ドット絵の名作は、そのシンプルさと洗練されたシステムゆえに、時代を超えて愛されるんじゃ。グラフィックがどんなに進歩しても、ゲームの核となる面白さがしっかりしておれば、ワシらは何度でもコントローラーを握るじゃろう。
最新のニュースを見て、改めて昔のゲームの奥深さを感じた次第じゃ。たまには押入れからホコリを被った名作を取り出して、ワシらの認知機能をリフレッシュするのも良いかもしれんのう!
引用元: Google News
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