Switch 2のロムカセット価格の話を聞いて、カセットフーフーを思い出した話

今のゲームにはない「味」——容量の壁が生んだ奇跡
最近、次期Switch(Switch 2)のカートリッジの製造コストが安くなるかもしれないという噂を聞いたんじゃ。技術の進歩は素晴らしいのう。カセットが高価だった時代を知るおじさんとしては、隔世の感がある。
しかしじゃ、ふと思うんじゃが、今のゲームは安価で大容量になりすぎて、昔のゲームが持っていた「容量の限界が生む味」が薄れてしまったのではないじゃろうか。
8ビット機や16ビット機時代は、使えるROMの容量が限られていた。数メガバイト、いや、メガビットの壁の中で、いかに世界を表現するか。そこで輝いたのが、ドット絵じゃ。
- 色数を絞る工夫。
- フレームを削る勇気。
- たった数ドットで感情を表現する職人技。
最新の超リアルなグラフィックも凄いとは思うが、あのシンプルなドットの集積には、プレイヤーの想像力を引き出す力があったんじゃ。「このキャラクターのこの動きは、きっとこうだろうな」と脳内で補完する余地があったからこそ、より深くゲームの世界に入り込めたんじゃな。
おじさんの独り言:カセットフーフーは愛の儀式じゃ
Switch 2でも「カートリッジ」という物理メディアが残るのは嬉しい限りじゃ。ダウンロード版が主流になった今でも、パッケージを手に取る喜びは格別じゃからのう。カートリッジの話を聞くと、どうしても昔のロムカセットを思い出すんじゃ。
ワシらの頃は、カセットが高くてのう。ゲームソフトは「贅沢品」じゃった。誕生日やクリスマスまで待ち焦がれたり、お年玉を握りしめて買った時の興奮といったら!
最新ハードの話になると、すぐにスペックやコストの話になるが、ワシにとっては、カセットは単なるデータ媒体以上のものじゃった。あの箱の匂い、説明書の端が擦り切れるまで読み込んだ思い出、そして何より懐かしいのが、カセットがうまく読み込まない時の「儀式」じゃ。
あの頃の解決法はただ一つ。
カセットを抜いて、端子部分に「フーーーッ」と息を吹きかけるんじゃ!
あれが本当に効果があったのかどうかは今となっては定かではないが、あのフーフーしている時間こそが、ゲームへの愛情表現じゃったのかもしれんのう。現代のゲームでエラーが出たら、再起動かアップデートを待つだけじゃ。あの物理的な愛着は、今の時代にはない「味」じゃな。
結論:名作は色褪せない、シンプルさこそが長く愛される条件
新しいゲーム機が出るたびに、グラフィックは進化し、容量は増大していく。それは時代の流れとして当然じゃが、Switchがロムカセットという形式を残しているのは、やはり物理メディアの持つ「愛着」を理解しているからじゃろう。安価なカートリッジの提供も、より多くのゲームが届くきっかけになるなら良いことじゃ。
しかし、忘れてはいけないんじゃ。本当に長く愛されるゲームというのは、どれだけリアルなグラフィックを採用したかではなく、どれだけシンプルなアイデアを熱意をもって詰め込んだかにかかっているということじゃ。
ワシらが今でも『マリオ』や『ゼルダ』、『ドラクエ』の初期作を懐かしむのは、最高のドット絵や、容量の壁を打ち破ったプログラマーの熱意を感じるからじゃ。形式が変わっても、その本質は変わらん。良いゲームは、媒体の色褪せとともに色褪せることはないんじゃな。新しいSwitch 2でも、シンプルで心に残る名作が生まれることを期待しておるぞ。
引用元: Google News
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